|沿革

昭和2年
(1927)

前社長 峰尾芳男は我が国初めて光学録音装置の研究開発に着手。
無声映画からトーキー映画への転換に指導的な役割を果たし日活撮影所と提携しトーキー劇映画の試作を発表する。

昭和6年
(1931)

写真化学研究所(東宝映画の前身)にて東宝式光学録音装置を完成し特許を取得。我が国の映画産業に貢献した。

昭和21年
(1946)

峰尾音響研究所設立、長谷川輝夫が富士通(株)を退社設立に参加。東京通信工業(現ソニー株)の映画用シネコーダー及びオートスライド映写機を設計製造し、ソニーブランドで販売。新開発した光学録音装置は日本の各撮影所に納入し、諸外国に多数輸出する。

昭和31年
(1956)

株式会社 峰尾研究所を設立。法人組織とし従来の事業を継承し、各種放送映画機材を製造販売する。

昭和34年
(1959)

日本録音株式会社を東京都港区六本木俳優座ビル内に設立し、その大部分の機材を設計制作し、日本の録音産業をリードする。

昭和36年
(1961)

日本録音(株)を吸収合併し、通称『ミネスタ』として多数の劇映画、テレビ映画、CM、産業映画等の録音を担当する。

昭和38年
(1963)

ソニー(株)との販売契約を解除し、自社ブランドで視聴覚機材販売を開始する。

昭和53年
(1978)

代表取締役に長谷川輝夫就任。東京都杉並区下高井戸に本社工場を移転し、新法人『株式会社 峰尾研究所』として発足した。尚、東京都港区東麻布に録音スタジオも移転し、新法人『株式会社 ミネオスタジオ』として発足する。

昭和55年
(1982)

ビデオ事業部を発足し、ビデオの撮影・編集・録音・ビデオコピー業務を行う。

昭和56年
(1983)

株式会社ミネオスタジオを吸収し、峰尾研究所の一の橋スタジオとして発足。会社組織の全面改組と共に、事業種目の拡大、諸設備を充実強化した。編集室3室、MA室2室になる。

昭和62年
(1987)

映像制作部を発足させ、ビデオ作品の企画、制作業務を開始し、又本社工場内にビデオの大量コピー設備を設置する。

平成元年
(1989)

外国ビデオの日本仕様に変換作業設備が整う。
CD-ROM、ビデオCD制作の受注開始。

平成4年
(1992)

一の橋スタジオ(MA室)を全面改装を行う。

平成5年
(1993)

麻布十番に峰研十番スタジオを追加オープンし、設備の強化をした。編集室3室を追加。これにより、一の橋スタジオ(編集室3室、MA室2室)・十番スタジオ(編集室3室)。

平成8年
(1996)

峰研十番スタジオにフルデジタル(D2)編集室オープン。

平成11年
(1999)

第3編集室FX-DEKOを使用。βカムデジタルフルデジタル編集室オープン。

平成12年
(2000)

一の橋スタジオMAを十番スタジオ4Fへ移設。
第1MA室にDAWを導入。フルデジタル5.1サラウンドMA完成。

DVD・オーサリングを受注開始。

平成13年
(2001)
第2MA室、DAWを導入。音声デジタル化整う。
麻布十番スタジオ内4Fに、インターネット・ストリーミングデータの制作を開始。
平成14年
(2002)
一の橋スタジオをオープン!
 多目的スタジオとして(クロマキー撮影とアフレコスタジオ)業務開始。
平成15年
(2003)

DVD-R(ビデオ)、CD-Rコピーサービスを始める

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